ナポレオンの妃ジョゼフィーヌと画家ルドゥーテ
ナポレオンの妃ジョセフィーヌは、バラの歴史に大きく関わっています。今では、私達庶民も小さなスペースでバラ栽培を楽しむことができますが、昔は貴族が宮殿の庭で庭師に手入れさせ栽培していたのですよね。
ジョセフィーヌも、マゾメゾン宮殿に世界中から珍しい植物を集めていました。
中でも最も愛したのがバラだそうです。
庭師デルメに、人工交配で新種のバラ開発をさせていました。
1867年ハイブリット・ティー・ローズの第1号「ラ・フランス」が作出されます。
この「ラ・フランス」以降を、モダンローズ(現在バラ)、それ以前はオールドローズに分類されています。
画家ルドゥーテとの出会い
元々はマリーアントワネットに使えていましたが、1789年フランス革命がおこります。
その後は、ジョセフィヌが記録係として召抱えます。
最初は、臣下の一人でしかなかったルドゥーテですが…
共にバラを愛する友人となり、マルメゾン宮殿のバラの画集の制作を提案したと言われています。
また、ジョセフィーヌもバラに「ロサ・レドゥーテア・グラウカ」とルドゥーテの名前を付けています。
今は絶滅していますが、白地に淡いピンクの縁取りがある繊細な山桜に似た感じの花だそうです。
ナポレオンは、ジョセフィヌが結婚14年して子供が出来ない事を理由に離縁し、オーストラリア皇女と再婚します。
失意のジョセフィヌは、画集の完成を見ることなく4年後に亡くなっています。


※ロサ・レドゥーテア・グラウカ
高度な銅版画技法である「点刻彫版法」と言う点描きの手法により、植物の繊細な美しさを表現したルドゥーテの作品。
※ピエール=ジョゼフ・ルドゥテ
ベルギー出身の画家(1759-1840)
1789年王妃マリーアントワネットの博物蒐集室付素描画家となります。
1798年ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌにマルメゾン宮殿に招かれます。
ただ単に植物画として正確な図を描いただけではなく、その芸術性が大変高く評価されています。
今に至ってもなお植物画の世界にルドゥーテの絵は大きな影響を与え続けています。
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