薔薇物語~グレース ケリー

白にピンクの覆輪の美しい大輪のバラ モナコ公国王妃のバラ
プリンセス・ドゥ・モナコ

レニエ3世即位50周年
ジュピレ・デュ・プリンス・ドゥ・モナコ

キャロリーヌ第一公女
キャロリーヌ・ドゥ・モナコ

ステファニー第二公女
ステファニー・ドゥ・モナコ

1956年結婚時に献上されたバラ
グレース・ドゥ・モナコ
女優・グレース ケリー

1929年11月12日生 ~1982年9月14日没(52歳)
アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの裕福な家庭に育つ。

20世紀のシンデレラストーリーと言えば、ダイアナ元妃とグレイス ケリーではないでしょうか。
17世紀以来続く貴族スペンサー家に生まれたプリンセス・オブ・ウェールズ「ダイアナ」とは違い。

父(ジョン・ブレンダン・ケリー)は元々はスラム育ちの煉瓦職人。
1920年アントワープオリンピックにて、ボート競技で2個の金メダルを獲得し一躍国民的英雄に。
4年後のパリオリンピックでも金メダルを獲得。
その後、煉瓦製造会社を設立し成功。

母(マーガレット・キャサリン・メイジャー )は、元モデルで大学講師。


グレース・ケリーの顔写真 グレース・ケリーは、ハイスクール卒業後女優を志す。

1949年(20歳)舞台「父」でブロードウェイデビュー。
1951年(22歳)映画「Fourteen Hours」でデビュー。

1952年「真昼の決闘」ゲーリー・クーパーの妻役に抜擢。
ゲーリー・クーバーは、アカデミー主演男優賞を受賞。

1955年「喝采」ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せ、アカデミー主演女優賞を受賞。

1956年「上流階級」ミュージカル映画が最後の作品。

恋多き女性としてでも有名。
ゲイリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、レイ・ミランド、ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデン……等々共演者と浮名を流す。
しかしゴシップ記事なので詳細は定かではないですが…。

当時グレース・ケリーは、「クールビューティ」と賞賛されるほど気品に満ちた知的美人。

1956年カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ公国レーニエ3世(在位1949年ー2005年)と結婚。

1962年(結婚6年後)フランスのシャルル・ド・ゴール大統領との間に起きたモナコ最大の危機に直面。 「グレース オブ モナコ 公妃の切り札」で映画化。

1982年9月13日 南仏のロックアジェルの別荘からモナコに戻る途中崖下に転落し死亡。
同乗していた、次女のステファニー公女(17歳)は軽症。



グレース・オブ・モナコ映画ポスター 映画「グレース オブ モナコ 公妃の切り札」

フランス、アメリカ、ベルギー、イタリア合作映画。
グレース公妃役(ニコール・キッドマン)

2014年5月 第67回カンヌ国際映画祭でオープニング作品として上映。
しかしモナコ公国アルベール2世が映画の内容に不満を抱き、映画祭にはご出席されていません。

母グレース公妃は美しく素晴らしい人物に…
反面、父レーニエ3世は弱い指導者で妻を束縛する人物に描かれていることに激怒。

修正するようにモナコ公国からの要請にも…
監督オリヴィエ・ダアンが聞き入れなかったそうです。

ハリウッド女優からモナコ公妃となったグレース・ケリーの、華やかなシンデレラストーリーの裏に隠された激動の半生に迫る伝記ドラマ。

夫のモナコ公国レーニエ3世と、当時のフランス大統領シャルル・ド・ゴールとの間に起きた国家存亡の危機に立ち向かう姿を描いています。

1961年2月グレース公妃の元に、ヒッチコック監督が「マーニー」の脚本をもって映画主演の依頼に来る。
モナコ宮殿のしきたりに馴染めず、公務に忙しい夫とのすれ違いも重なり孤独になっていた時なので、5年振りの女優復帰に喜ぶグレース公妃ですが、立場を考えて回答を保留。

1962年 フランス大統領は長引くアルジェリア戦争の戦費を得る為に…
モナコ政府に、モナコ国内にあるフランス企業から税金を徴収しフランスに支払うように要求。
レーニエ公は、モナコの国家基盤を揺るがすとして徴税を拒否。
フランスは要求を断るなら、モナコをフランス領として併合すると声明を発表。

両国関係が緊迫した中、レーニエ公はグレースの女優復帰を認める。
グレース公妃は、両国問題が解決した後に女優復帰を公表しようと考える。
しかし、女優復帰の情報がマスコミにリークされ、グレース公妃は窮地に陥ったモナコを捨てると批判される。
グレース公妃の相談を受けたタッカー神父は「宮殿内にフランスに内通するスパイがいる」と指摘。

義姉アントワネットは自分の息子を大公位に就けるため、弟であるレーニエ3世の追い落としを企んでいた。
アントワネットと夫のジャン・シャルルを国外追放する。

1962年7月 フランスの圧力に屈したレーニエ公は課税を了承。
フランスはモナコ企業にも課税しフランスに支払うように要求、モナコとの国境を封鎖。
交渉に失敗したレーニ公はグレース公妃に八つ当たりし、女優復帰の話を断るように告げる。
ショックを受けたグレース公妃は離婚を考えるが、タッカー神父に諭され思い留まる。

グレース公妃はモナコを守るため、タッカー神父の紹介でデリエール伯爵のもとを訪れ、モナコの伝統・外交儀礼についてのレッスンを受ける。
一方、レーニエ公は各国の外交使節をモナコに招き、モナコへの支援を呼びかけようとした。

国際赤十字のバチョッキ伯爵夫人の協力元…
1962年10月9日 要人たちを招いた舞踏会で、グレースは人々の愛と平和への気持ちを伝えるスピーチをし、出席者からの喝采を受ける。

アメリカのマクナマラ国防長官ら出席者の反応を見たド・ゴール大統領は、世界中がグレース公妃を支持していることを痛感しモナコへの強硬策を撤回。

翌1963年 モナコの国境封鎖を解除。


映画撮影のために、グレース公妃所有の5つのジュエリーを、モナコ公国の同意を得てカルティエのアトリエで完璧に複製。
また、カルティエは映画撮影用にハイジュエリーのリースにも協力。

故グレース公妃所有のジュエリーは、現在もモナコ公室で大切に保管されているそうです。


ニコール・キッドマンブロマイド 女優・ニコール キッドマン

1967年6月20日生、アメリカ・ハワイ州ホノルル出身。
アメリカとオーストラリアの二重国籍。

15歳からオーストラリアで女優として活躍。
1988年「デッド・カーム 戦慄の航海」の出演作を見た、トム・クルーズに招かれてハリウッドへ

1990年「デイズ・オブ・サンダー」でトム・クルーズと共演、その後結婚(1990年~2001年離婚)。

離婚後はアメリカを代表する演技派女優として活躍。
アカデミー賞、ゴールデングローブ賞など多数受賞。

2006年 オースロラリア国民最高の栄誉である勲章
「Companion of the Order of Australia(AC)」受勲。


 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ピックアップ記事

紅茶色のバラ

ユニークな花色のバラ「ブラックティー」

茶バラと言われる、シックで個性的な大人のバラ。 夏場高温だと燃えるような朱色に、秋は深く本来の魅力的な紅茶色に。 やや初心者…

バラ図鑑

おすすめ記事

ページ上部へ戻る